短編ストーリー 津軽の味

あれは、肌寒い夜でした。久しぶりに、上野へ出掛け、飲み会の帰り道でした。

 

その数日前、かつての同僚からメールを貰いました。何年ぶりかで再会し、大いに盛り上がりました。彼は、すでに妻子のいる身ですが、結婚も月日が経てば、様変わりするもので、酒が進むにつれ、テンションが高くなって行きました。

 

現在のわたしは、しがないSOHOをしています。聞こえはいいですが、単なる在宅業務であり、微々たる報酬を元に、生計を立てています。彼とは、SOHOを始める前の会社で知り合い、外資系のe-コマース企業で、非常にコキ使われたことを覚えています。

 

いわば、戦友。戦争を経験した人には、失礼かもしれませんが、わたしにとっては、そういう人です。飲み会での話題も、以前の職場のことになり、深夜までデータ整理に追われたり、マニュアル的な統計処理に四苦八苦したことなど、すでに愚痴を通り越していました。

 

わたしは派遣社員で、彼は正社員でしたが、彼自身には、そういう雇用の区別はどうでもよかったようです。わたし自身も、働いている時からそれを感じ、だからこそ、職場を離れても、飲むことができたのかもしれません。

 

ああでもないこうでもないと話しているうち、気がつけば、最終列車が近付いていました。上野駅から、彼が千葉方面へ、わたしが埼玉方面へと、帰路に付きました。

 

帰り道、すいぶんと酒に弱くなっていることに、気がつきました。齢40にもなると、体力の衰えを肌に感じると言いますが、それも原因の一つでしょう。40にして不惑も、衰えから生まれた言葉のようにも思いますが、それとともに、金銭的な面で、酒を飲むことができず、アルコールへの対応力が落ちていました。しっかりしなきゃ、と思いながらも、ふらふらしている自分を感じました。

 

けれども、三つ子の魂百までも、というのは、若い頃の出来事全般にも、当てはまるのかもしれません。どんなに酔っぱらっても、帰ると決めたら、きちんと家路についていたので、この時も、それはできていました。ふらふらしながらも、最寄りの駅で下り、とぼとぼマンションに向かっていました。

 
 

ぶるぶるするような北風が吹き、手袋をしていても、指の先が凍えるようでした。足も自然とがくがくし、酒の力が相乗効果になっていました。元々の猫背が、さらに丸まり、40を通り越し、すでに老境の域に達したような風貌でした。

 

心の中で、早く帰ろう、そう言い聞かせていました。家についたら、シャワーを浴び、留守番しているワンコの世話をし、とっとと寝ようとも思っていました。

 

けれども、ふと、気になるものが、わたしの視界に入りました。

 

最寄り駅から東に延びた県道を歩き、人も車の影も、ぽつりぽつりとしていました。いくつもの路地が南北に走っていますが、ちょうど駅とマンションの半ばあたりでした。住宅街の真ん中に、ぽつんと一軒、赤ちょうちんが光っていました。

 

慣れ親しんだ地元ですが、建物の移り変わりは、世間並みということでしょう。路地を入れば、そこから旅が始まる、とは誰だかの言葉ですが、そんなことが、心の中に浮かびました。

 

赤ちょうちんの墨文字も、わたしの瞳に飛び込みました。

 

「津軽の味」

 

わたしの両親は、青森ではないですが、南東北の出身です。自分には、関係のないこととも言えますが、やはり、どこかで親近感が湧いてしまうのは、人の子なのかもしれません。

 

ついでだ、とばかりに、酔いの勢いに任せ、赤ちょうちんへ向かいました。

 

がらがらと戸を開けると、女将の声がしました。こじんまりした店で、いかにも、住居を改築したような内装でした。座敷はありませんでした。カウンターだけでした。どこの居酒屋にでもあるように、女将の後ろには、たくさんの瓶類が並んでいました。けれども、どれもピカピカで、リザーブがあるのかどうかも、わかりませんでした。

 

「何にしましょう?」
 

少々甘ったるい感じでした。

 

ふっくらした割烹着に、襟の向うから、黒模様の着物が、ほんのりしていました。幅の広い顔立ちに、鼻筋のほくろが印象的でした。

 

「ビール」

 

すでに飲んでいるとはいえ、反射的な言葉でした。カウンターに腰掛けると、栓の抜ける音がし、茶色の瓶と透明なコップが、わたしの目の前に置かれました。

 

店内には、わたしと女将だけでした。ぐつぐつ煮えたぎる音以外、何もないようでした。

 

「おでん、いかがです?」
「ああ」
「何がいいですか?」
「適当で」

 

女将がにこっとしましたが、どこか違ったところを見ているようでした。

 

わたしは、気恥ずかしさを感じていました。小さな居酒屋に、女将と二人だけの時間と空間でした。飲んで気が大きくなっていたとはいえ、初めての訪問では、あまり鷹揚にもなれませんでした。

 

「今日は、寒いですね」
「そうだね」
「一段と厳しくなりましたね」
「確かにね」
「あったかいものが、恋しいですね」
「まあね」

 

再び、ぐつぐつした音が、店内に響きました。わたしは、ひたすら、鉢の中のおでんをつまみに、ビールに口をつけていました。ふと見上げると、女将がうつむいた感じでした。気の毒な思いもしましたが、恥を抜け切ることができませんでした。

 
 

時が経って行きました。均一の間が続いて行きました。

 

わたしは、二本目のビールと二杯目のおでんの鉢を、終えようとしました。すると、女将が声を上げました。

 

「あら、雪ですよ。雪」

 

ふと戸を見上げると、暖簾の隙間から、白くて大きな無数の欠片たちが、落ちていました。

 

「どおりで冷えると思った」

 

わたしはつい声を出しました。

 

「積もるかもしれませんね」
「そうだね。こういう雪は、そうなるね」
「お勤め、大変じゃないですか?」
「今は、家庭内業務だから」
「あら、夫の付く主夫ですか?」
「いや、単なる在宅仕事。バツイチだけどね。」
「お住まいは、ご近所ですか?」
「分かる?」
「だって、遠くの人じゃ、こんな時間に来ませんよ」
「そうだね、そうだよね、普通じゃないよね」

 

あはは、としながら、女将が口元に手をやりました。少し気が楽になったのか、女将が尋ねてきました。

 

「お客さん、趣味なんかあるんですか?」

 

わたしは、ちょっと戸惑いましたが、応えました。

 

「人並みに、映画と音楽かな」
「映画は、どんなのを?」
「古い映画だね」
「古いというと?」
「小津安二郎とか、黒澤明。最近のじゃ、北野武くらいかな」

 

わたしの脳裏に、とよの映像が浮かびました。目の前の女将とオーバーラップし、心の中で、独りほくそ笑んでいました。

 

「音楽は、どんなのですか?」
「こちらも、新しいのは、とんと」
「また古いのですか?」
「かつての流行歌もわからなくはないけどね。やっぱ自分が幼い時のだね」
「ああ、じゃあ、歌謡曲とか?」
「仕方ないね。育ちだね。環境だね」

 

女将が、再び声を出して笑いました。すると、はっとしたように、わたしに言いました。

 

「お客さん、カラオケ嫌いですか?」

 

わたしは、またも困惑しました。正直、好きな方ですが、ひねくれ者の性分は、酔っていても変わりませんでした。

 

女将は、そんなわたしに気付いたのでしょうか? 応えを待たず、にこにこしながら、カウンターの向こう越しで、店内の奥に進みました。掛け物を取ると、そこには、カラオケセットがありました。通信の文字が見え、どことなく場違いな雰囲気もありましたが、大切な宝物のようにも感じました。

 

「何、唄います?」

 

わたしは目を白黒しました。この時間じゃ、と呟くように言うと、女将がうれしそうな顔で、

 

「大丈夫ですよ。こんなところでも、防音には気をつけていますから」

 

わたしは応えられませんでした。まごまごしていると、女将が言いました。

 

「じゃあ、あたしが、最初に唄いますね」

 

女将が、カラオケセットのボタンをひょいひょいと押しました。少し間が開き、機械が反応しました。尺八のような音色が、わたしの耳に木霊しました。その時は、初めて聞く曲でした。けれども、こういう寒い雪の日に、とても似合うように感じました。

 

女将の声が響きました。よされ、という言葉を連呼し、力強くも柔和な感じが、わたしの心を震わせました。

 

曲が終わると、女将が言いました。

 

「どうでした?」

 

わたしは、ぽかんとしていました。歌そのものに魅了されたこともありますが、それ以上に、女将の歌唱力に圧倒されました。

 

女将のような女性は、カラオケは日常茶飯事で、わたしの経験上、歌の上手い人が多いように思います。けれども、目の前の女将は、わたしが聞いてきた人の中でも、群を抜いているようでした。

 

わたしは拍手しました。そうして、ローカル局のみで流れるCMのセリフしか、わたしの口からは出ませんでした。

 

「上手い、上手過ぎる」

 
 

女将がわたしにマイクを渡そうとしましたが、もう少し彼女の声を聞きたくなりました。

 

「あと、何曲か、いいかな?」

 

女将がにこっとしました。

 

「リクエストありますか?」
「適当で、いいよ」
「おでんと一緒ですね」

 

わたしが吹き出しました。

 

「じゃあ、懐かしい曲かな」
「懐かしい?」
「そう、懐かしい」
「どんな?」
「好きなので」
「あたしの?」
「そう、女将さんの」

 

アップテンポの音が流れました。すぐに中森明菜と分かりました。いつ聞いても、泣いたことがない、という歌詞に、うそつけ、と呟いている自分がいました。

 

次も女将に選んでもらいました。今度の曲は、松山千春でした。男は待たせるだけ、という言葉に、同情する自分がいました。

 

わたしは、女将が自分と同年代であると思いました。彼女の懐かしい曲が、わたしのものと重なり、ああ、あの軽さの時代に、少女期を過ごしたんだな、と思いました。

 

その後も、女将に唄ってもらいました。彼女の選曲は、中島みゆきでした。人は空ばかり見てる、というフレーズが流れました。それとともに、酔っていながらも、歌の不思議さを感じました。

 

歌は世につれ、とはテレビ番組の言葉ですが、ある歌を聞いただけで、その時代を思い出し、苦しさも嬉しさも、当時の心境を呼び覚まします。懐かしいという思いは、どこかで大人の象徴のようになり、子供が大人びた自分を見せる時に、よく口にします。けれども、そこには、さほどの実感もなく、覚えたての汚い言葉を必死に使っていることと同じように思います。

 

もちろん、わたし自身もそうでした。親に負けじ、世間の大人に負けじ、懐かしい、うるせえ、バカヤロー等々、よく口にしていました。

 

そうは言っても、味のわからない煙草を吸い続け、いつしかそれが手放せなくなるように、懐かしいも、うるせえも、バカヤローも、口にすることで、自然と自分のものになっていくのかもしれません。

 

歌は、懐かしさをもたらしてくれます。流行り廃りがあったとしても、いや、流行り廃りがあるからこそ、懐かしさが生まれるのでしょう。郷愁の念と重なると言ってしまえば、それまでです。

 

けれども、歌は、そればかりでもないようです。歌には、ニーチェが言ったような力があり、歌の源泉とはリズムであり、まさに生と直結しているように思います。ジャンルなどは、単に後付けしたものであり、良い歌は、やはり、どんなものでも、良いものです。そこに上手な歌い手が重なれば、最良の歌が産み出されるようにも思います。

 

女将の声を聞いているうち、目頭が熱くなりました。曲そのものの影響もあるのでしょうが、女将の歌唱力が大きな要因でした。

 

「今度は、お客さんの番ですよ」

 

ふと見上げれば、女将がマイクを握った手を伸ばして来ました。わたしは仕方ない、と思い、とうとう自分の定番でもある沢田研二の曲を唄うことにしました。心の中でも、勝手にしやがれ、と呟きながら、声を出していました。

 

歌い終わった後、女将が、とことこ歩き出しました。がらがらっと音がすると、ひんやりした空気が、わたしの頬を打ちました。女将が暖簾を外しました。

 

「今夜は、これで店じまい。ゆっくりしましょうよ」

 

わたしは、久しぶりに、温かくなるものを感じました。

 

その後、女将と交互に、マイクを交換しました。懐かしい曲はもちろん、両親たちが喜びそうな流行歌も選曲し、フォークや洋楽にも、手を広げました。

 

女将は、何を唄っても、上手いしかありませんでした。一体、どうしたら、こんな風にできるのか、楽しみながらも、つい感慨深くなってしまいました。

 

そうして、時が経ち、気付けば、朝になっていました。さすがに、疲れ果て、わたしは、店を後にすることにしました。支払いを済ませ、戸を開けると、傘を手にした上背のある男が、わたしを一瞥しながら、店内に入って来ました。背後から、女将に話しかける声が聞こえました。

 

「カラオケかい? ステージ、大丈夫かい?」

 

気にはなりましたが、わたしは、いそいそとマンションに向かいました。降りしきる雪に追われながらも、わたしの心は、どことなく、すっきりとしていました。

 

それから、数日後のことでした。わたしは、いつものように、午後過ぎに目を覚まし、パソコンに電源を入れました。コーヒーカップを側に置きながら、インターネットで方々を巡っていました。

 

すると、妙な記事を見つけました。

 

「亜矢ちゃん、一日女将を語る」

 

記事をクリックすると、ある歌手の顔写真が出て来ました。幅の広い顔立ちに、鼻筋にほくろのある、まさに、あの女将でした。

 

記事によれば、新曲の勉強のため、仮面居酒屋を構え、一日女将を演じていたようです。場所が埼玉で、店内に座敷がなく、おでんが売り物であったことも、書かれていました。具体的な客のことについては、何の感想もありませんでしたが、ただ一文だけ、わたしの目に止まりました。

 

「最後のお客さん、ライターお忘れになって。是非、お返ししたいんですけどね」

 

そう言えば、青色のライターが、知らぬ間になくなっていました。安物なので、どうでもいいと思っていました。名乗り出ようかどうしようかとも思いましたが、そういうことは自分には似合わないと思い直しました。けれども、どことなく、嬉しさもありました。

 

記事の最後に、新曲のことが載っていました。わたしは、販売サイトを見ようとしましたが、ふと、あの夜の彼女の声が、わたしの中に、木霊してきました。

 

力強くも柔和な感じ。

 

再び震えが走り、わたしは、瞬く間に、亜矢ちゃんファンになりました。拙いながらも、言葉が溢れ出て、しばらくは、何もしたくありませんでした。

 

些細な心の隙間から 巡り合わせの時が来る
ひと夜の宴が 永遠に
悠久な空へと駆け上がる
わたしは忘れない わたしは失わない
きらめく銀河に 降る雪を

 

—– 了 —–

 

- この物語は、管理人のイメージに基づいた架空のものです。 -

 

(^。^)(^。^)(^。^)

 

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