飛び立つような艶めかしさ 哀しみ本線日本海

最近お決まりのようですが、またまたチャンネル銀河の再放送からのレビューです。おそらくすでに視聴した方も多いかと思いますが、わたしの場合、BSを視聴できず、しかも、最近になって、「BS日本のうた」の再放送をチェックするようになりました。島津亜矢が出演しているものに絞っているつもりですが、だんだん懐かしさを感じたくなり、聞きたい曲がある時は、録画するようにしています。これもまた、人の子でしょう。もっとも、再放送なので、ネタが新鮮でないことは、ご勘弁いただきたいと思います。(^o^)

 

さて、今回取り上げる曲は、「哀しみ本線日本海」です。昭和56年にリリースされ、森昌子の持ち歌です。リリース当時、わたしは、小学生でしたが、ベストテン番組が全盛期で、しかも、歌と言えば、歌謡曲と思っていた年頃です。もちろん、リアルタイムでの記憶があり、大衆文化も輝かしく、日本経済も、絶好調を迎え始めた頃でしょう。

 

 

森昌子と言えば、個人的には、「越冬つばめ」(昭和58年)と、今回の「哀しみ本線日本海」と思ってしまいます。特に「越冬つばめ」に関しては、カラオケでもお気に入りで、概ね酔いが最高潮に達した時に選んでいました。たぶんそうならなければ、恥ずかしくて、歌えなかったのでしょう。(^o^)

 

カラオケに行かなくなり、久しく経ちますが、また歌うようになるかはわかりません。けれども、島津亜矢版の「越冬つばめ」は、インターネットの動画サイトで視聴しました。おそらく「歌謡コンサート」で放送されたものを、ビデオで録画したのでしょう。現在より若々しさがありましたが、初々しさはなかったので、21世紀初め頃かな、と憶測しました。しかし、島津亜矢は島津亜矢です。彼女を知ったばかりの頃に視聴し、つい聞き惚れてしまいました。こういうのを視聴してしまうと、やはり、カラオケでは二度と歌えないです。比べてしまうのがバカでしょうが、島津亜矢を知った最大のデメリットは、カラオケで歌えなくなる、ということでしょうか。(^o^)(^o^)(^o^)

 

また、森昌子と言えば、「せんせい」もあります。彼女のデビュー曲で、「スター誕生」で選ばれた直後に、リリースされたものでしょう。わたしは、曲を知ってはいますが、リアルタイムでの記憶はありません。もっとも、リリース年が昭和47年になので、生まれてはいても、覚えているはずはありません。(^o^) やはり、自分の中では、「越冬つばめ」と「哀しみ本線日本海」について、ブラウン管の向こうから聞こえて来た、リアルタイムの匂いを覚えています。

 
 

わたしが視聴した島津亜矢版「哀しみ本線日本海」は、今から約8年前に、「BS日本のうた」で放送されたものです。現在のわたしが40歳前半でもあるので、島津亜矢の年齢も、予想は付きますが、敢えてお話しないでおきます。(^o^)

 

 

第一声を聞いた時、たちまち惚れ込んだことは、言うまでもないでしょう。これは、「望郷じょんから」とも通じるものですが、気に入ってしまう曲というのは、最初が肝心かもしれません。ある意味、恋心にも近いものでしょう。もっとも、時間が経てば良くなるものもあり、これはどちらかと言うと、夫婦に近いもののようですが、こういうたとえは、わたしには決して似合わないです。(^o^)

 

 

とにかく、曲が進むにつれ、どんどん引き込まれ、これは残しておかなくては、と思いました。特に、彼女の天を衝くような声に、自分も一緒になって、天に昇るような感じがします。ブルーレイレコーダーとヘッドホンを通して聞いているため、機器の特徴も出ているのかもしれません。そうはいっても、島津亜矢の声量には定評があり、素人のわたしでも、いわゆる男性の曲でも、十分通用すると感じています。だからこそ、三波春夫の歌謡浪曲を歌っても、聞いている者を魅了できるのでしょう。おそらく歌謡浪曲に疎い人でもそうなるかもしれず、現にわたしがそうです。

 

けれども、「哀しみ本線日本海」での天を衝くような声には、どこか艶めかしさを感じます。荒々しそうでありながら、柔和な感じのする波のようでもあります。聞いていて、疎ましくなく、彼女の声に巻き込まれてしまうような感じです。別の曲で、「力強くて優しい」という表現を使いましたが、「哀しみ本線日本海」にも当てはまるように思います。けれども、そこに艶めかしさがあり、おそらく、これは、島津亜矢の色気ではないかとも思っています。そうは言っても、イヤらしさがなく、セクシーというものではありません。やはり、わたしには、このサイトでも、繰り返し述べていますが、島津亜矢には、「おんな」よりも「はは」が似合うと思います。こういう感じを与えてくれる歌手も、あまりいないように感じてもいます。

 

 

また、島津亜矢は、色々な声色ができるようにも思います。声色というと、声優のような感じに聞こえるかもしれませんが、曲によって、歌い方を変えているということです。演歌には演歌なりの歌い方、歌謡曲では歌謡曲なりに、洋楽では洋楽用です。通常、演歌歌手というと、独特のクセがあり、どんな曲を歌っても、それが出ています。そのため、カバーを歌っても、演歌歌手である、とすぐにわかります。しかし、島津亜矢は、演歌歌手と言いながらも、そういうクセがありません。変幻自在であり、演歌歌手の枠組みに入れておくのは、もったいないようにも感じてしまいます。

 

けれども、そこが彼女のメリットでもあり、デメリットでもあるでょう。柔軟性があるからこそ、特徴がなく、逆説的ですが、人の目に引きにくく、大衆性がないと考えられるのかもしれません。年末に縁がないのは、こういう点もあるかもしれませんが、基準は選ぶ人次第のように感じ、良いように解釈した結果です。もっとも、わたしには、どうでもいいものなので、逆に、島津亜矢には、こだわって欲しくないと思っています。もしかしたら、”僅少派”かもしれませんが。(^o^)

 

とにかく、島津亜矢には、柔軟性があり、変なクセがなく、わたしが好きになっている理由でもあります。おそらくこれは、彼女の育ってきた時代背景もあるのかもしれません。思春期と言える1970および80年代といえば、テレビが全盛期の頃です。スペシャリストよりも、ジェネラリストが好まれ、テレビの即効性が、情報伝達の最前線と言われていた時です。1990年代後半に、インターネットが浸透し始め、21世紀には、テレビが衰退し、今では、インターネットの方が、即効性があり、利便性も高く、なおかつ、個性的にもなっています。新たな情報伝達の時代となっているのは、言うまでもないでしょう。

 

テレビには、臨機応変さが求められることは、見ている方でも、認識できます。そういうものが身近な時代では、知らぬ間にテレビ的になるのは、仕方のない面もあります。インターネットの動画サイトにおいて、島津亜矢が出演したある番組がアップされていました。彼女のおちゃらけた姿に、ああやっぱり大衆テレビで育った人だ、と感じてしまいました。そうであるからこそ、職業歌手としても、自分の持ち歌に囚われることなく、演歌歌手でありながらも、それを乗り越えたような、柔軟性のある歌手として、カバーも手掛けているように思います。もっとも、同じ時代に育ってしまった、わたしの勝手な思いであることも否定しません。(^o^)

 

しかし、大事なことは、一見柔軟性のある達者な歌手のように見えながらも、その奥には、”本物”があると思います。表面では、声色があるとしても、その奥には歌というものの本質が垣間見えるようにも思います。ならば、歌の本質とは、何でしょうか? 今のわたしには、月並みですが、魂としか言いようがありません。達者のように見えながら、上手である、というのが島津亜矢であり、だからこそ、見えなさすぎるところがあることもまた、残念に感じてしまいます。それよりも、単純に、あまりにも上手すぎるので、崇めるだけで終わってしまうのかもしれません。(^o^) 今回取り上げた「哀しみ本線日本海」は、上記のような島津亜矢の特徴も、見事に表現されていると思います。

 

ただし、「帰ってこいよ」と同様、フルコーラスでなかったのが、残念です。番組の制約もあるのでしょうが、どこかの公共放送には、もう少し考えて欲しい、と夢中になっているオヤジファンから、つい文句を言いたくなります。再放送なので、これからのことでしょうが、一介のオヤジの文句などは、聞く耳をもたないでしょう。それが”公共”放送でもあるでしょうから。愚痴ばかりになりそうなので、ここらで止めておきます。(^o^)

 

 
 

なお、島津亜矢の「哀しみ本線日本海」は、わたしの知る限り、CDにもDVDにも、収録されていません。今後、何らかの形で、収録して欲しいですが、個人的には、リサイタルのような生声を希望したいです。そういえば、最近、毎日のように、録りためた島津亜矢のファイルを視聴しています。よく飽きもせずに、と自分で自分に突っ込みを入れていますが(笑)、それだけ、彼女の声にハマッてしまったのでしょう。熱狂するのは好きではないですが、しかし、良いものは良いと感じられることは、こんなオヤジにもあるようです。

 

ただし、そういうファイルの中には、実にタイミングの悪い声援が入っているものがあります。当初は、興ざめし、残すかどうか迷いましたが、今ではここで入るな、と構えているので、すでに慣れてしまい、消去しなくて良かったと思っています。けれども、仮に島津亜矢のコンサートに行くことができても、わたしは、ああいう声援はしたくないです。リサイタルDVDでも、喋りのシーンを飛ばして視聴しているので、純粋に歌を楽しみ、そうして、恥になるようなことはしたくないです。

 

熱狂による声援というより、自己満足の声援のように聞こえてしまい、わたしは、決して好きになれません。もっとも、わたしも、自己満足で、こんなサイトを作っているので、他人のことをあまりとやかく言える資格はないかもしれません。(笑) けれども、島津亜矢ファンは、いつ見ても、ガラが悪いです。ガラが悪いというのは、不良などの意味ではなく、あくまで後楽園ホールのノリで、要は、「オヤジ臭い」ということです。もっともそういうノリについては、わたしは嫌いではなく、実際、安心感があります。ワイングラスで飲むというより、ワンカップで一杯、という感じでしょうか。(^o^) ともあれ、自分で楽しめる島津亜矢のファイルがあるのは、やはり、うれしいものです。これからも、録画できる限り、集めて行くつもりです。

 

今回も、ためになったレビューかと言えば、そうではないかもしれません。勝手なことばかりを述べて来ましたが、最後までお読みいただけましたら、作成者冥利に尽きると言えます。次回もまた、つまらないレビューをアップするかと思いますが、よろしくお願いします。

 

 



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