今さらだけど、今こそ語る 愛染かつらをもう一度

島津亜矢の「愛染かつらをもう一度」については、ファンの方であるなら、十分ご存知のことでしょう。30万枚の売上を記録し、彼女の名を世間に広めた一曲であるとも言えます。

 

 

リリースがかなり以前になるので、すでにテイチク公式ページのディスコグラフィーには、シングル曲としての記載がありません。けれども、何度なく、全曲集や特選集などのCDアルバムの収録曲として、リリースされているため、現在でも、「愛染かつらをもう一度」を聞くことは容易となっています。最近では、本年(2011年)発売されたリサイタルDVDにも収められ、彼女のこれまでの軌跡を振り返る中で、披露されています。歴史のある一曲ですが、おそらく現在でも、ファンの間で非常に人気があり、もしかしたら、カラオケのレパートリーに取り入れている方も、多々いらっしゃるかもしれません。

 
 

当サイトで、すでにお話しているように、わたしは、昨年(2010年)から、島津亜矢の曲を本格的に聞くようになりました。彼女の声を初めて耳にした時、たちまち聞き惚れてしまい、挙句の果てに、このようなサイトを作ってしまったので、わたしも、仕様のない中年オヤジの一人です。(^O^)

 

 

以上のようなことから、「愛染かつらをもう一度」がリリースされた当時、島津亜矢のしの字も知らず、もちろん、曲そのものをきちんと聞くことはありませんでした。しかし、後年、「愛染かつらをもう一度」と島津亜矢の名を知り、当時、テレビのランキング番組で、この曲が画面に登場していたことを思い出しました。そうして、その頃のわたしの気持ちも現れ、独り恥ずかしい気分がしました。(^O^) 「愛染かつらをもう一度」の歌詞は、父親を想う娘の心境を語ったものです。「愛染かつら」を使っていることが、特徴であり、「いつか一緒に歌いましょうね」などというセリフは、父と娘ならではの関係を表しているかもしれません。

 

 

年配の方であるなら、「愛染かつら」が川口松太郎の小説で、太平洋戦争前に発表された作品であることをご存知かもしれません。川口松太郎は、代表的な大衆小説家の一人であり、今日でも、多くの人に親しまれていることでしょう。

 

 

正直、わたしは、「愛染かつら」を読んだことはありませんが、映画があるのは知っていました。10代後半から20代半ば頃まで、日本、というものに興味を持ち、アンチ戦後として、戦前の世の中に憧れを持っていた時期でもありました。「愛染かつらをもう一度」がリリースされた時は、ちょうどその頃にあたり、曲のタイトルを見ただけで、付き合い難いと感じました。若かったと言えば、それまででしょうが、勝手に戦前の有名作品を使うなと、それこそ勝手に思い、勝手に嫌っていました。

 

けれども、人間というものは、自分も含め、不思議なもので、そうであるからこそ、信じられない存在でもあります。島津亜矢を知り、「愛染かつらをもう一度」に、きちんと耳を傾けると、途端に気に入ってしまい、自分でも口ずさむようになりました。しかも、時折、独り酒を飲みながら、ネットカラオケなどで、自己満足に浸っているのですから、本当に、わたし自身も、訳の分からない中年オヤジの一人です。

 

 

「愛染かつらをもう一度」は、少々アップテンポな曲調で、そこへ、島津亜矢の伸びのある声が重なることで、父を労る、娘の気持ちがしっかりと表現され、島津亜矢の代表曲の名にふさわしいと思います。また、個人的なことを言えば、仮に自分に子供ができれば、娘がいいなあ、と思っているので、それが気にった理由の一つであることは、否定できません。小津安二郎が好きなので、その影響があることも事実ですが、島津亜矢の持ち歌の中でも、好きな一曲であり、オススメのものともなっています。(^O^)

 
 

そう言えば、「愛染かつらをもう一度」がリリースされた年は、1991年です。今から20年前のことですが、古さを感じさせず、それが演歌というジャンルの強さかもしれません。また、その年は、わたしが、大学に入学した年でもあり、自分の転機ともなっています。妙な縁がある、と言えば、こじつけになるでしょうか?

 

けれども、この記事のタイトルにあるように、今さらでも、今こそ、「愛染かつらをもう一度」を取り上げたいと思ったのは、やはり、今年、ということが、大きく影響しているようです。繰り返しますが、1991年は、今から20年前であり、区切りの良い年月となっています。今年は、3月に東日本大震災が発生し、自分も大きな揺れを感じたことと同時に、母の故郷が甚大な被害を受け、大震災から半年が経とうとしても、まだまだ完全回復の兆しが見えません。

 

大学に入学したわたしは、先にお話したように、日本を見つめ直そうと思っていました。その延長と言えるのでしょうが、自分自身をもさらに知りたくなり、東北に目を向けました。宮沢賢治に夢中になり、彼の故郷を訪ねました。母方の祖父の満州での経験を聞きたくなり、南相馬市(原町)へ何度も赴きました。「異人論」に興味を持ち、その過程で、赤坂憲雄を知り、彼の「東北学」というものに惹かれて行きました。もしかしたら、これで、お分かりになった方も、いらっしゃるかもしれません。

 

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、大震災直後、国内外の方々で、引用されていました。南相馬市は、原発被害も大きく、まだまだその余波が収まりそうにもありません。赤坂憲雄は、東日本大震災復興構想会議のメンバーに、名を連ねています。自然と、2011年と1991年が、わたしの心の中で融け合い、そこへ島津亜矢が関わることで、「愛染かつらをもう一度」が想起され、どうしても、このレビューで取り上げたくなりました。それだけ、わたしの中でも、今年の大震災が、非常にインパクトのあった出来事でした。

 

個人的な思いのままに、ここまで綴って来ましたが、「愛染かつらをもう一度」を聞く度、自分なりの東北への想いが、心の中に浮かんで来るかもしれません。そうして、一体、自分は何ができるのか、と問い続けながら、自分の目の前のことを、一つ一つこなして行くのでしょう。そうすることが、今の自分の役目であり、大震災発生後、しばらくしてから思うことができ、最近になって、自分なりに行動できるようになりました。こうして書いていても、「愛染かつらをもう一度」の旋律とともに、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」が聞こえ、さらに、常磐線沿線の太平洋の風景、あるいは、東北特有と言われている、母屋につながれた馬の姿が、心の中に浮かんできます。

 

リリースされたCDには、島津亜矢の若かりし頃の声で収録されているものが多々ありますが、近年発売されたリサイタルDVDなどの「愛染かつらをもう一度」には、熟練ならではの味があり、わたしは、こちらも気に入っています。

 

♪ 愛染かつらを いつまでも

 

この曲と、そして、今年のことは、いつまでも、忘れそうにありません。

 

 



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