しっとりと伸びやかな声が、松の心を表す 無法松の一生

島津亜矢の「無法松の一生」を何度も聞いていますが、こちらもお決まりのセリフで、うまいなあ、としか言いようがありません。大御所(村田英雄)のファンには失礼かもしれませんが、当の本人よりも、上手いかもしれません。もっとも、島津亜矢は何を歌わせても自分のものにしているので、もしかしたら、一緒に歌うのが嫌な人もいるのでは?、と少々ワイドショー的に思ってしまうことがあります。(^。^)

 

いずれにせよ、島津亜矢の「無法松の一生」は、わたしの中に、深く印象付けられ、当然オンタイムでは知らない者ですが、良い歌というものは、いつの時代になっても、決して廃れないのだろうと思います。そうは言っても、無法松の世界は、今では古風なものの代表格に思います。

 
 

「無法松の一生」は、元々、岩下俊作の小説です。人力車夫の無法松の人生を描き、1939年に出版され、1943年の太平洋戦争中に映画化されました。残念ながら、わたしは原作を読んでいませんが、2本の映画を見ています。1本目は、オリジナル映画とも言える阪東妻三郎版「無法松の一生」2本目が、リメイクされた三船敏郎版「無法松の一生」です。この他にも、テレビドラマや舞台化もされているようですが、わたしは、自分が視聴したこともあり、阪妻版と三船版が、視覚化された「無法松の一生」の代表格に思っています。

 

まず、阪妻版については、学生時代に偶然目にすることができました。かつての日本映画に興味を持った頃で、小津安二郎に夢中になっていました。たまたまお正月のテレビ東京で放映され、ビデオに録画しました。同時に、豊田四郎の「雁」も放送され、同じビデオテープに収めています。もちろん、今でも書棚に飾っています。(^。^)

 

当時は、かつての日本映画を再発掘していた気分で、阪妻版を見た後、非常に感動しました。もともと高校生の時から、軽薄短小な世の中が嫌いで、古風なものに憧れを持っていました。筋の通らないことは嫌いで、なおかつ、人は生き方を語るより、生き方を見せるものだと思っていました。しかも、発言と気持ちが必ずしも一致するものではなく、それだけ、人間の心は複雑だとも思っていました。ある意味、そういう言葉遣いこそ、言葉そのものを大事にしていたようにも思っていました。この点については、今でもあまり変わっていません。

 

このようなことから、無法松のような一本気でありながらも、どこか正義感のある男が、憧れでもありました。さらに、祖父がまだ健在であったので、渡満経験のことを聞いたり、あるいは、論語の話などをし、アンチ戦後としての戦前に、憧憬を抱いていました。そういうことが影響していたのでしょう。阪妻版の無法松が一番のように思っていました。もちろん、今の自分が見ても、映画として素晴らしいと思います。特に、幼い頃の回想場面が、印象に残っています。

 

そのシーンは、無法松が、故陸軍大尉の息子で、気弱なボンボンに、幼い頃のエピソードを語る形で、描かれて行きます。無法松が出兵していた実父に会いたくなり、継母の家を飛び出します。途中森に迷ってしまい、その恐怖を表すように、悪霊が飛び交います。現代なら、当然CGを使うでしょうが、そういう技術のない時代でも、見ているものをがっかりさせないような場面になっています。今から見ても、全然遜色のない演出であり、もしかしたら、逆に新鮮に感じる人もいるかもしれません。

 

阪妻版は、1943年の作品ですが、戦争中にこんなのを作っていたのかと驚きました。けれども、軍部にカットされたシーンがあり、また、占領軍時代には、封建的との理由で、さらにカットされました。占領軍が去った後、阪妻版の監督をした稲垣浩本人がリメイクしました。それが三船版です。

 

わたしは、別ブログ「極東の空から」(すでに閉鎖)で、黒澤映画を扱っていますが、一時期、黒澤映画を嫌っていました。黒澤独特の人間主義が、どうしても自分に相容れいないように思いました。確かに、その時でも好きな作品はありましたが、あまりにもマルクス主義的に感じ、時代の産物だ、と思いました。そういう心境が大きく影響したのでしょう。最初に三船版の無法松を見た時、どうしても「七人の侍」の菊千代に見えてしまい、三船はどれも同じだ、やはり、阪妻版が一番だ、と思いました。

 

けれども、時は残酷でもあり、優しくもあると言います。頑迷固陋な自分も、次第に円くなったのか、30代になって見返したところ、三船版には、三船版の良さがあると思いました。三船の粋も、そして、阪妻版の粋も、どちらも、それぞれの味があり、今では、どちらも好きだ、と堂々と口にすることができます。

 

三船版は、1958年にベネチア国際映画祭で金獅子賞を取っていますが、以後、約半世紀の間、日本映画がベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞することがありませんでした。三船版の後に金獅子賞に輝いたのが、北野武の「HANA-BI」です。わたしは、映画賞を受賞したものがすべて良い作品とは思いません。特に、アメリカのアカデミー賞には、なぜ?、ということが多く、政治的な思惑を感じます。毎年アカデミー賞のニュースを聞く度、白けた感じになります。

 

けれども、三船版「無法松の一生」は、金獅子賞の名に値していると思います。世界のミフネの力が大きいとは言え、無法松の生き方が、限界のある映像の中で、きっちりと描かれていると思います。敢えてどこの場面とはお話しませんが、「わしは寂しかったんじゃ」というセリフが、こういう男にも心がしっかりと存在していることを、見事に表現していると思います。

 
 

上記のように、阪妻版と三船版のみとはいえ、島津亜矢の「無法松の一生」を聞くと、映像の中の無法松を思い浮かべます。島津亜矢のしっとりとしながらも伸びのある声が、自然と、無鉄砲な松の姿を連想させ、そうして、無法松と呼ばれた男の心情をきっちりと語っているように感じます。

 

感応する心 流れて津軽でお話していますが、島津亜矢の歌声には、「はは」を感じます。むしろ、「はは」だからこそ、男の心情を表現できるのかもしれません。わたしは、あるところまで行けば、男も女も関係ないと思っていますが、「はは」とは、一種の男の甘えのようにも思います。よく男が女を求める場合、どこかで母を探していると言われますが、その母とは、「はは」と表現した方がいいように思っています。これは、マザコンとは、また違ったもののように思います。

 

島津亜矢の歌声には、「大地」とのつながりも感じますが、「大地」とは、生みの「はは」であり、なおかつ、何事も包み込むものとも思います。無法松のような男も、「はは」に掛かっては、赤子同然なのかもしれません。(^。^) そうは言っても、現代の甘えと無法松のような男が堂々としていられた時代の甘えとは、すでに異なったものかもしれません。世に流行り廃りはありますが、人の心情にそれがあるというのも、おかしな話です。自由というのは、色々なものを認めることでしょうが、結局、それを許さない戦後というものも、どこかで画一した価値観を植えつけていると言えます。

 

こういう点では、戦前も戦後も、表向きの言葉が変わっただけで、構造自体に変化はないと思います。昭和の戦前期には、維新、戦後の学生闘争時には、革命、最近では、改革という言葉が流行りました。真に変わるには、人間の意識が変わらない限り、無理なように思っています。

 

ここまで長々とお話して来ましたが、このサイトの主である島津亜矢から大分話がずれたようです。けれども、それだけ、島津亜矢という歌手に、広がりがあることの証でもあると、自己満足のような言い訳をしておきます。今回は、これまでになります。

 

 



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