逆説的な曲も、よく似合う 哀愁列車

ミッチーと聞いて、年配の方なら、すぐに三橋美智也を思い出すかもしれません。わたしの場合、バラエティ番組、もしくは、CMのせいだと思いますが、小学生時代に三橋美智也を知り、歌手というよりは、タレントとして認識していました。同時期に、政界のミッチーこと渡辺美智雄が、大蔵大臣に就任し、一時ブームを呼んでいました。独特の栃木弁が庶民性を醸し出していたようで、彼の政治思想云々などは、問うていないようでした。

 

ブームというものは、そんなもので、今なら、政治パフォーマンスと思いますが、当時はそんなことも考えられず、また、学校では、みんながミッチーになろうとしていました。将来の夢は、大蔵大臣と言っていた同級生もいましたが、いつの時代も、子供というものは、世相に影響されるものです。

 

いずれにせよ、三橋美智也と言えば、「哀愁列車」と思う人は、失礼ですが、かなり年配の方のように思います。わたしは、曲名程度しか知りませんでしたが、島津亜矢のおかげで、初めて最後まで聞いたように思います。歌詞の内容は、好きな女性との別れを惜しむもので、題名通り、哀愁が似合うと思います。しかし、曲調は、それとは反対に、実にテンポが良いように思います。おそらく、駅のホームが舞台のため、列車を意識して作曲したのだろう、と素人ながらに思います。

 

そこに島津亜矢のソウルフルな声が重なり、わたしは、聞く度、いつものように、うまいなあ、と感じ同時に、哀愁と列車の組み合わせに、見事に合っているように思います。もちろん、この機会に、本家三橋美智也の「哀愁列車」も聞いてみました。亡くなったとはいえ、今でも歌手としての名声があり、上手いなあ、のひと言です。こう言ってはなんですが、わたしが感じたように、当の本家も、明るく歌っているように思います。「哀愁」とは裏腹のように思います。けれども、だからこそ、「哀愁」と言えないでしょうか?

 
 

わたしは、別ブログ「極東の空から」(すでに閉鎖)で、小津安二郎を取り上げています。個人的には、小津さんと言いたいのですが(笑)、小津さんの「早春」という映画にも、裏腹なシーンが出て来ます。お葬式なのに、バックに実にテンポのいい曲が流れています。後日談として聞いたことがありますが、この点を小津さん自身、関係者から問われたことがあるようです。その時の答えが、お葬式の日だって晴れはあるし、笑いがある時もある、だから、テンポのいい曲を使ってもおかしくない、とのことでした。これを知り、さすが表現者だなあ、と思いました。そして、それこそが、日常の中に起こる非日常だとも思いました。そういうことからか、わたしは、以下のような一つの偏見を持っています。

 

「葬式で泣かない人ほど、悲しんでいる」

 

本当に悲しいことがあると、涙も出ないとは、それこそ、本当のように思っています。「哀愁列車」にも、こういう逆説的なものを感じ、やはり、単純には語れないところが、世の中ということでしょうか? いずれにせよ、島津亜矢の「哀愁列車」を聞いてから、彼女のものを事あるごとに聞いています。敢えて、オリジナルの三橋美智也と比較すれば、島津亜矢の方が、まじめに歌っているように思います。

 

全てオリジナルのように、というのも、歌手としての個性をつぶすようなので、わたしとしては、あまり好きではありません。そうは言っても、もう少し遊びがあってもいいのでは、と思います。これは、島津亜矢全般に言えていることのようにも思いますが、それもまた、歌手としてのプライドであり、だからこそ、情熱の歌手でもあるのでしょう。持ち味というものにも、良し悪しがあり、それこそ、「逆説的」に働くことがあるのかもしれません。

 

こんな生意気なことを言ってはいますが、島津亜矢の歌唱力が、本物であることを重々自分なりに承知し、さらに、彼女に似合わない曲はないようにも思います。演歌よし、歌謡浪曲よし、ポップスよし、フォークよし。どこかの国の総合格闘家のようです。いずれも、こなしているのではなく、上手であるところが、本物の歌手と言えるでしょう。最近は、洋楽にも進んで取り組んでいるようで、コンサートでもアバの曲を歌っているようです。島津亜矢の歌うアバを想像したら、そりゃあ、ぴったりだ、と思っています。

 

今回は、これまでになります。

 

 



記事リンク 新曲&年譜 ご感想