ひと目惚れのきっかけ(^。^) あゝ上野駅

島津亜矢を知ったきっかけは、ひょんなことでした。ブログ「極東の空から」(すでに閉鎖)でも多少お話していますが、刑事ドラマ「特捜最前線」を視聴し、その中で使われた挿入歌をフルで聞きたくなり、You Tubeを調べたことからです。挿入歌とは、この記事のタイトルにもなっている「あゝ上野駅」です。年配の方ならすでにご存知の通り、集団就職が盛んな時代に、井沢八郎が歌い、当時大ヒットした一曲です。

 

わたしは芸能ニュースが好きではありませんが、井沢八郎の娘が工藤夕貴で、彼女はわたしと同学年であり、島津亜矢も同様です。正直、なんとも変な感じがしますが(^。^)、それを考えると、わたしの両親の青春から壮年に差し掛かった時期に、「あゝ上野駅」が誕生し、大いに売れたということでしょう。先にお話した刑事ドラマ「特捜最前線」は、「ファミリー劇場」で再放送され、CATV加入時に、視聴していました。わたしは、録画もしていたのですが、「あゝ上野駅」は、「カラスと呼ばれた女!」というエピソードで使われていました。

 

「カラスと呼ばれた女!」のストーリーは、あまり明るいものではありません。ある警官が、警視庁刑事の策略で退職を余儀なくされ、以後、ホームレスとして、暮らすことになりました。何年も離れ離れだった娘に、東京で出会い、結婚する予定であると知り、必死になって通行人から小銭を乞い、やっとの思いで指輪を購入できました。しかし、娘にプレゼントしようとした矢先に死亡してしまい、警視庁特命課が、捜査を開始することになりました。

 

刑事ドラマのため、事件が先にあり、そこから犯人を見つけていくことになりますが、その過程の中で、死亡したホームレスの素性が明らかになります。そのヒントになったのが、彼が口ずさんでいた「あゝ上野駅」でした。上野署員が朝礼などで合唱する、署歌のようなものでした。「カラスと呼ばれた女!」の中では、「あゝ上野駅」が、物語の根幹と言えます。ストーリーの哀切さと「あゝ上野駅」の前向きさが、事件の悲しさを一層盛り上げ、わたしの心に響いてきました。それとともに、舞台が上野駅ということも、わたしには印象深くなりました。

 
 

上野駅と聞くと、石川啄木の短歌を思い出す人も、多いかもしれません。

 

ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく (p.66「一握の砂・悲しき玩具」新潮文庫より)

 

学生時代、宮沢賢治を自分なりに学んでいく中で、石川啄木からの影響を知りました。学部の授業が嫌いでしたが、石川啄木を題材にした市民講座には進んで参加しました。わたしの中で忘れられないものの一つが、石川啄木が、「食らうべき詩」を書いていたことです。内容はタイトル通り、生活のための詩作についてで、彼が困窮のため、文学と生活とのバランスに、ずいぶん悩んでいた節があります。たとえ才があったとしても、文学だけで生きて行くことの困難さを彼自身の人生が表現しているようにも思います。

 

おそらく、文学のみならず、特定の才を必要とする職種には、石川啄木と同様な悩みが付きものかもしれません。もちろん、始終焦がれている、島津亜矢のような歌手においても、そうなのかもしれません。わたしは、十代後半から三十歳近くまで、上野経由中心で、東京に出ていました。もちろん、何度か新宿などの東京西方面に出向いたことはあります。けれども、喜んでそうしようとは思いませんでした。

 

上野駅が北の玄関口であり、石川啄木や宮沢賢治とのつながりを感じたかったことも、大きな要因でしょう。しかし、総じて言えば、東北との関わりが強く、感応する心 流れて津軽でもお話しているように、わたしの母が東北出身ということを深く意識していたと思います。若い時分、わたしには、故郷はないが古里はあると思っていました。東京近郊地帯である浦和などで生まれ育つと、故郷意識があまり育たないのは、確かなことです。そうは言っても、どこかに帰る場所を求めたがり、それを母出身地に見出そうとしていたのでしょう。わたしの思っていた古里とは、故郷よりもなお一層大きなものであり、いわば、母やさらにその上の人々をも含めたものでした。

 

振り返れば、バカなことを思ってたな、と懐かしさと恥ずかしさが同居しています。浦和には、Jリーグの浦和レッズが出来たので、若い頃のわたしと違った思いを持つ人々が、多々現れているかもしれません。いずれにせよ、上野駅に対する思いは、時間の経過とともに、極端なものではなくなりました。今は自宅が職場になっていますが、前職は派遣社員として、渋谷まで通い、埼京線を利用していました。学生時代では考えられないことですが、もしかしたら、大人になるとは、こういうことを言うのかもしれません。

 

そうは言っても、かつて何度も足を運んだ上野駅には、特別な想いがあることは間違いないようです。集団就職は、もちろん、生前の出来事であり、経験はありません。けれども、北の玄関口と言われた上野駅に、自ら産み出した幻想を抱き、それを元に行動していた時期があったことは事実です。仮にそういう幻想がなければ、「特捜最前線」で、「あゝ上野駅」を聞いても心に響かず、フルで聞きたいとも思わなかったでしょう。もしそうであるなら、You Tubeで調べることもなく、その過程で、島津亜矢とも出会わず、こんなサイトも作っていなかったでしょう。想いを持つのは、自由であり、良し悪しもあるでしょうが、縁というものには、叶わないのかもしれません。(^。^)

 
 

ところで、「あゝ上野駅」を歌う島津亜矢について、今さらとやかく言うこともないと思います。正直、初めて耳にした時の驚きは、現在でもありありと記憶し、日本にこんな歌手がいたのか、と思いました。失礼を承知で言えば、当の本人よりも、島津亜矢の方が、歌に合っているように思います。当然、井沢八郎には井沢八郎なりの持ち味がありますが、わたしは、島津亜矢の方が、集団就職で東京に出て来た者の心情を、見事に表現しているように思います。むろん、そう思うのは、わたしが肩入れしている部分が大きいことは、決して否定しません。

 

ともあれ、わたしの心の中には、「あゝ上野駅」に対し、オンタイムでご存知の方とはまた違った想いが、潜んでいます。たまに、自分で自分に、お前は一体何歳なんだ?、と問うことがありますが、今年(2010年)から40代に突入した、ただのオヤジであることに、変わりはありません。ちなみに、「特捜最前線」が全盛期の頃は、中学生から高校生でした。オンタイムで見たこともあり、当時は、ストーリーを追うのがやっとでした。しかし、アラート・フォーにもなると、多少なりとも、オンタイム時よりは、理解度が深まっているようです。

 

けれども、まだまだ子供の時分とはいえ、エンディングテーマの「私だけの十字架」については、心に残るものがありました。
わたしのお気に入りソングの一つですが、島津亜矢が歌ってくれたらなあ、と前回の記事と同様、夢想しています。

 

 



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