想いを改めたカバー曲 千の風になって

わたしが、「千の風になって」を初めて聞いたのは、約7年程前になります。新井満本人が、筑紫哲也「ニュース23」で披露し、それをたまたま視聴したからです。けれども、わたしは、好きにはなれませんでした。確かに曲調は、ゆったりとした流れであり、心に響くものがあります。また、歌詞については、原詩がアメリカのもので、色々な言われがあるようですが、哀愁のある訳詞でもあり、さすが小説家の作だ、とも思いました。

 

しかし、わたしにとっては、出会いが悪かったのかもしれません。「ニュース23」で放送された当時、アメリカがイラク戦争に突入していました。先頃、アメリカとともに主導的な役割を果たしたイギリスで、当時の政治決断が正しいのかどうかを検証した査問委員会が開かれていました。イラク戦争の是非が、開戦から10年近く経って、ようやく起きてきたと言えるでしょう。

 

わたし自身、戦争そのものについては、むやみに起こすものではないと、日本近現代史を自分なりに勉強して思いました。けれども、「ニュース23」のような報道番組が、世界中がイラク戦争の動向に注目していたのを見計らったように、「千の風になって」を登場させ、しかも、反戦歌のように扱い、実に汚いと思いました。わざわざ他人の歌を借りて、わざとらしく訴えるのではなく、堂々と、イラク戦争反対と言え、と思いました。

 

スマップの「世界に一つだけの花」が流行った時も、同じような手口に思いました。その時には、司会者がイラク戦争云々と言っていたのを記憶しています。当時の知人などは皆口々に好きだと言っていましたが、わたしは、やはり、生来のひねくれ者で、カラオケで歌うようになったのは、かなり後年になってからです。(^。^)

 
 

ともかく、「千の風になって」とは距離が生まれてしまい、以来あまり見向きもしなくなりました。しかし、島津亜矢の「BS日本のうたV」を入手し、彼女の歌う「千の風になって」を聞き、この歌そのものの良さを教えられたようです。死んだ私はお墓の中にいるのではなく、いくつもの風となって、残された人々を見守っている、というような歌詞の内容です。それは、魂の浮遊ともいえ、アメリカであれば、「spirit」に等しいと言えるでしょう。

 

そういう目に見えないが、何かしらあるような塊が、島津亜矢の底から突き上げるような歌声とともに、わたしの心に絡みつく、何かがありました。そこには、つまらない報道番組のあり方なども包摂し、昇華させてしまうような力があるように思います。もちろん、島津亜矢が「魂の歌い手」というわたしの勝手な心理的イメージも含まれているでしょう。

 

けれども、彼女の歌声には、拙記事感応する心 流れて津軽でも書いたように、大地からの叫びのようにも感じます。そこには、常に「はは」がいて、生まれてきたものの喜びも悲しみも、すべてを飲み込んでいるような感じがします。

 

最近、島津亜矢の歌声には、ある特徴があるように思っています。通常の歌い手は、曲に自分の声を乗せているように思います。
例えれば、サーフィンのようです。しかし、島津亜矢には、そういう波乗り感覚がありません。まるで歌と一緒に泳いでいるような感じがします。といって、競泳選手のような研ぎ澄まされたスピード重視の泳ぎ方ではなく、時に鮮やかに、時に苦しげに、時に哀しく、時に明るい、シンクロナイズドスイミングのようです。

 

「水と一体となっているからこそ、魂が生まれ出る」

 

こんなことを思っています。そうは言っても、やはり、上手いものは上手いのであり、島津亜矢に焦がれているからこそ、何を聞いても良いと感じることも、もちろん、新参者のわたしにもあります。(^。^)

 

ところで、「BS日本のうたV」には、もう一曲、わたしが興味を引かれた曲があります。赤い鳥が発表した、「翼をください」です。おそらく島津亜矢も、わたしと学年が一緒なので、学校の音楽授業で、「翼をください」を習ったのでは、と思っています。わたしは、長らくこの歌がフォークから生まれたとは知らず、そのくせ、心の奥底で、気に入っていた曲でした。

 

島津亜矢が単独で歌う「翼をください」も、もちろん大好きになり、彼女ののびやかで重厚感のある歌い方に、惚れ惚れします。それとともに、生意気にも、半分羨ましいとも思っています。正直、「千の風になって」よりも、「翼をください」の方に親しみがあり、それは致し方のないこととも思っています。なぜなら、誰しも、この年に生まれたいと思って、生まれた訳ではないからです。(^。^)

毎度思うことですが、わたしの拙い文章が、皆さんのお役に立つようであれば、誠にうれしい限りです。今回は、これまでになります。

 

 



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